ひとりぼっちの進化学

「ひとりが好きな人へ」「ひとりが寂しい人へ」。寝付けない夜に著者が綴った日々のできごと。

100m9秒台を出す日本人選手が今後急増すると思う理由

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欧米の陸上界にかつて「4分の壁」と呼ばれる記録があった。中距離の約1600m走である。

絶対に破られることはないと言われていたが、英国選手によって54年に記録が破られるや否や、次々と20人以上の選手が続いた。(天声人語より一部引用)

 

深層心理が身体におよぼす影響の大きさがよく分かる話である。

 

ひるがえってノミの話。

ノミは体長のおよそ150倍ものジャンプ力を有すると言われている。

 

人間に換算すれば30階建てのビルを飛び越えるほどの脚力だ。

 

だがそんなノミをコップの中に入れて蓋をすると、ジャンプして逃げようにも頭がぶつかって逃げられない。

 

しばらくするとノミは脱出することをあきらめる。

 

その後コップの蓋を外すとどうなるか?

 

もう天井はないのに、コップの底から蓋までの距離しか飛び上がらなくなるそうだ。

 

さて、お次は象の話。

 

固定した柱にくくりつけた鎖の一端を象の足に巻きつける。

すると象は鎖の長さがおよぶ範囲内しか移動することができない。

 

しばらく象をあそばせてから鎖を外すと、その象は鎖の長さを超えて移動しようとはしなくなる。

もはや自身を縛るものは何もないのに、だ。

 

学習性無気力と呼ばれる現象である。

 

だが、それを打破する方法は簡単だ。

 

ノミの場合はコップをデコピンで弾いて揺らしてやればいい。

危機にかられたノミは悠々とコップの縁を飛び越えていく。

 

象の場合も言わずもがなである。

 

今回、桐生祥秀選手が天井の蓋を飛び越えられたのはなぜなのか?

ふと疑問に思った。

 

そして。

 

僕の世界であるコップの蓋はいつ閉められたのだろう。

 

その蓋は今開いているのだろうか。

 

そうだとして、今の僕にそれを飛び超えることはできるのだろうか。

あの夏の名残、三度目の告白

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——あの時こうしていたら

 

誰しもそう考えた経験があると思う。しかし、頭の中で思い描く「あの時」が再び訪れることはない。

それでも考えてしまう。

もし、一年半前の自分がほんの少しだけ違う行動をしていたら。

その後の顛末を変えられたかもしれない。いま彼女の隣を歩いていたのは僕だったかもしれない。

過去を変えることが出来ない以上、その問いかけに意味はない。それでも考えずにはいられないのだ。

だって気付いてしまったから。心の奥底に仕舞い込んでいた感情を見つけてしまったから。

 

 

出会いは合気道の道場だった。

居並ぶ男臭い門下生の中で、五つ年下の彼女の存在はひときわ異彩を放って見えた。

水曜日の19時から20時半。彼女に会えるその90分が特別な時間になったのはいつの頃からだろう。正確には覚えていない。ただ、次第に90分では物足りなくなっていった。

 

最初の告白は7年前、大学生の時。

恋愛のれの字も知らなかった僕は、「今のところ彼氏を作るつもりはないんです」という彼女の言葉にあっさりとうなずいて引き下がった。

今になって思う。当時の僕は恋愛ごっこに酔ったただの青二才だった。たまたま仲良くなれた女の子のことを特別だと思い込んでいただけ。

だから立ち直りも早かったし、翌年にはちゃっかりクラスメイトの女子を好きになっていた。

 

環境が変われば人付き合いも変わる。

出会いと別れを何度か繰り返して、僕は社会人になり彼女は大学に進学した。それでも道場で顔を合わせればよく話をした。はたから見ても仲は良かったと思う。

 

きっかけは本当にささいなこと。

稽古が終わって道着から着替えた彼女の私服がとても可愛かった。お酒が好きで、食事の好みも僕と似ていることを知った。夢を追いかけて頑張る姿に、僕より先に段位を取って袴を履く姿に、時折見せる不安げな顔に、ただただ惹かれていった。

いつの間にか。その言葉が一番しっくりくる。

 

そう。二年前、僕には好きな女の子がいた。

 

二度目の告白は車の中で。一緒に遊びに行った帰りだった。

「私わがままだから。付き合ったらきっと嫌われちゃう」

控え目な彼女の拒絶に、僕は首を横に振った。

「諦めないよ」

僕の言葉に彼女は困った顔で微笑んだ。

 

合気道の合宿では二日間行動を共にした。一緒にプールに行って、誕生日のお祝いをした。

少しずつ、彼女の心が僕に傾いてきている。自惚れじゃなく、そう感じていた。

 

「お祭り行きたいな」

誘ったのは僕からだった。

好きな女の子と浴衣で夏祭りに行きたい。学生の頃からの夢は彼女が叶えてくれた。

群青色の生地に大輪の花をあしらった浴衣が年下の彼女をとても大人っぽく見せていたのを覚えている。忙しい時間を縫って簪や巾着まであつらえてくれた、その気持ちが嬉しかった。

「すごく似合ってる。可愛いね」

感情を表現するのが苦手な僕の精一杯の褒め言葉に、彼女は笑顔で応えてくれた。

 

思い切って手をつないでみようか、葛藤したこと。

大きなリンゴ飴を二人で食べたこと。

夜空に響く花火の振動を彼女の隣で感じていたこと。

まるで昨日のことのように、鮮明に思い出すことが出来る。

 

夏も終わりに近づいてきた頃、二人で花火をしようと約束を交わした。

 

 

……それが最後だった。

約束は、果たされなかった。

 

 

「風邪ひいっちゃったから、また今度にして欲しい」

 

真っ当な彼女の言葉に、あの頃の自分はどうしてあれほど心乱されたのだろう。

ラインの文章が冷たかったから?

ドタキャンされたから?

その後のフォローがなかったから?

どれもバカバカしい理由だ。取るに足らない戯言だ。

彼女に会えなくなった寂しさを理由に、僕はラインを猛烈に送りつけた。恋人らしいことをしているのに恋人になってくれない彼女に対して、溜まっていた不満を吐き出した。

黒い文字列で埋め尽くされたラインのメッセージは、彼女の心をどれだけ傷つけたことだろう。

電話一本。直接話をすればすぐに解けたはずの僕の不安は、こじれにこじれて収拾がつかなくなっていった。

 

「しばらく会わないほうがいいのかもしれないね」

 

僕の発したメッセージに彼女はこう答えた。

 

「そうかもしれませんね」

 

あっという間に数ヶ月が経った。

毎週のように通っていた道場にもあまり顔を出さなくなり、たまに稽古に出る日は水曜日以外を選ぶようになっていった。

花火の約束をした日から一年が経つ頃には、理由は分からなかったが彼女も道場に顔を出さなくなっていた。

 

自分を変えたい。そう思い始めたのはこの頃からだ。

家にいる時間を削って勉強に出かけた。

職業技能研修、コミュニケーション勉強会、交流会……昔は見向きもしなかった行事に参加して、世の中の広さを知った。同時に彼女を失ったのは自分の責任だと心の底から自覚した。

 

僕は結局、自分勝手に気持ちを押し付けていただけだった。

夢があり、学校があり、友達付き合いも趣味も習い事もある彼女が、僕のために時間を作ってくれていたこと。

その意味を、僕は全然理解していなかった。

 

けれどもう取り返しはつかない。

 

諦めようと思った。

諦められると思っていた。

 

あの匂いを、思い出すまでは。

 

彼女の匂い。僕が好きだった人の、香水かシャンプーの香り。

久しぶりに顔を出した道場でのことだ。

 

彼女が来てる。

 

すぐに分かった。顔を見た瞬間、心臓が暴れた。これっぽっちも諦められてなんかいなかった。

 

およそ一年半ぶりの再会である。

普通に話ができたのが嬉しかった。それと同時に、自分の感情に対してどう向き合えばいいのか分からなかった。

 

僕は彼女のことがまだ好きなのか?

 

その答えが出たのはほんの数週間前だ。

道場の開館記念祝賀会でのこと。久しぶりに彼女と飲んでいろいろな話をした。お酒が弱いのにビールが好きで、子供に優しくて、僕の知らない空白期間の苦労を語って涙を流す彼女から目を離すことが出来なかった。

 

もう一度だけ。

もう一度だけ勇気を出して声をかけてみようか。今さら遅すぎるかもしれないけれど、それでも……

 

「今度また一緒に飲みに行かない?」

 

 

「はい、ぜひっ!!」

 

 

暗闇の中に残された一筋の光。

その救いの光は希望の道を照らし出す。「ひょっとしたら」という感情を人の心に抱かせる。ひょっとしたらここからまたやり直せるんじゃないか、新しく関係を築いていけるんじゃないか、と甘い言葉を耳元に囁きかける。

 

二週間後が約束の日だった。

僕が勝手に設定した、「ひょっとしたら」の日だ。

毎日毎日、彼女のことばかり考えていた。一年半前のあの日々、浮き足立っていた夏の日の感情が、自分でもびっくりするくらい鮮明に思い出された。

 

最初から暗闇の中にいる人はそれ以上の絶望を味わうことはない。

けれど、一度光が差すことを知ってしまったら外を目指したくなる。そうやって歩き出して、光の先に足を踏み出す一歩手前でその光が偽物だと気付いたら?

待っているのはより深い絶望だ。

 

「私、最近彼氏さんができたんです」

 

約束の日の一日前だった。

たまらず電話をかけた。もう同じ過ちは繰り返さない。そう誓っていたから、心とは裏腹に口から出る声は冷静さを保てていたと思う。

自分の気持ちを素直に伝えて、それで何とか心を落ち着けようとした。会えばきっと動揺する。だから、「せっかくだけどまた今度にしましょうか?」という彼女の提案にうなずいたんだ。

 

眠れぬ夜を過ごした翌朝。つまり今日だ。今これを書いている今日の昼間、もう一度電話をかけた。

午前中、仕事をしながらずっと考えていたことを伝えたかったからだ。

 

「やっぱりキミに会いたい」

 

彼女は、受け入れてくれた。

 

 

19時から22時まで。

いつもの稽古よりちょっとだけ長い食事会は夢のような時間だった。相変わらず忙しい時間の中、おしゃれをしてきてくれたのが嬉しかった。ワインで乾杯して、イタリア料理に舌鼓を打つ。まるで一年半前にタイムスリップしたかのように話題は自然に溢れてきた。

 

それでもつい考えてしまう。

彼女には今、好きな人がいる。僕が恋人として彼女の隣を歩ける日は、きっともう、来ない。

 

この感情をどう処理したらいいのか。今の僕には全く分からない。

ただ一つだけ分かるのは、この気持ちは偽物じゃないということ。

 

だから。

彼氏がいる女性を好きでい続けられる自分に、ほんの少しだけエールを送ろう。

心の整理をつけるためにこうして文章を綴りながらそう思う。

 

そうだ。

明日車のトランクを開けて、一年半近く放置していた花火を持って来よう。きっとひどく湿気っているだろうけど、二重に包装されている線香花火ならまだ火が付くかもしれない。

 

思い返せば僕の恋は線香花火のようだった。

静かに、鮮烈に燃え上がっては儚く消えていく。とても切ないけれど、そんな恋だって悪くはないさ。

己の役目を全うして火花を散らす線香花火はあんなにも綺麗なんだから。

 

彼女がいなかったら今の自分はいない。

彼女がいたから成長できた。夢を追い続ける真摯な姿勢を僕は彼女から教わったんだ。

 

いつの日か今日を振り返って、「そんなこともあったね」と笑顔で話せたらいいなと思う。

だから今は、目の前のことに全力で取り組もう。

僕も自分の夢を追いかけよう。

 

燃え尽きることのない線香花火に火を灯せる、その日まで。

 

 

〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・

 

およそ3年前の出来事を綴った実話です。

とあるライティングゼミに通っていた時に書きました(それも3年前)。

 

あれから僕は自分を変えようとして色々なことに手を出しました。

その結果が借金の山です。……皮肉なものですね。

 

「小さな一歩から一線を超えてしまうと、気づいた時には間違った方向へ全力疾走してる」

「そうなったら後は最初の一歩を正当化するしかない」

ジャック・バウアー

 

紆余曲折あって今彼女とは3年前より親密な関係になっています(1年以上前に彼氏とは別れたそうです)。

でもそれが幸せかというと、一概にそうとは言えない。

 

さて、今から3年後の僕はどう思っているんでしょうか。

間違った方向に進んでなければ良いのですが……

七桁の借金を背負うハメになった愚か者の話①(自己紹介にかえて)

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その男、名を空澄遊(からすみゆう)という。

関東在住の28歳男(自称)、都内の病院に勤務する理学療法士である。

 

動かない子供だった。

まだ保育園に入る前の話だ。母が幼い空澄と共に床屋に入ると、店主から「小さいお子さんは動いてしまって危ないから」とカットを拒否されたことがある。

 

しかし母は「いえ、この子は大丈夫です」と男児を床屋の椅子に座らせた。

半信半疑の店主が幼子の頭を刈る間、彼は微動だにすることなく目の前の鏡を見つめていたという。

 

母の半径3m以内から離れない。

 

そんな子供だった。

公園に連れて行っても最初に座らせた場所から動かない。周りの子供たちと遊んだり、蝶々を追いかけて走り回ることもない。

 

周囲のものに対する無関心さはどうやら生まれつきのようだ。

 

泣かない子供だった。

夜泣きもしない。注射をされても母の腕をつねりながらしかめっ面で耐える。

 

感情を表出するのが苦手なのも生まれつきなのかもしれない。

 

兄弟がいないかわりに、従姉妹が遊び相手だった。一つ年下の男勝りな少女と、三つ下の女の子らしい女の子。

静岡の田舎に長期休暇のたび遊びに行った。祖母と、二人に会うために。

 

田舎や田んぼが好きになったのはこの頃だろう。

 

小学校の高学年になる頃、一人で新幹線に乗って静岡に行った。

そのとき母が旅の共にくれたのが「ハリーポッター」だ。本が好きになった原点の記憶である。

 

高校デビューには失敗した。

中学ではそれなりに友人がいたにも関わらず、高校では一人の友も作れなかった。

 

環境のせいだと思った。

空澄が通っていた高校は一種独特の校風を持っていたから。

 

しかし大学でも友人はできなかった。

そこでようやく悟る。おかしいのは自分の方だということに。

 

(つづく)

※不定期掲載

幸福のための不可欠の要素とはなにか?

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いっさいは空であるという感情は、自然の欲求があまりにもたやすく満たされるところから生まれる感情である。

(…)

ほしいものをいくつか持っていないことこそ、幸福の不可欠の要素である。

ラッセル 幸福論】

 

 

仕事から帰ってきてお風呂に入って夕飯を食べて歯磨きして、ふ〜っと一息ついて布団に倒れ込む。

その瞬間のなんとも言えない脱力感は結構好きです。

 

でもその後にふと形のない虚無感に襲われることがある。

この虚しさのことをラッセルは「空」と呼んでいます。

 

いっさいは空である、つまり虚しいという感情を抱くことは僕に限らず誰にだってあると思います。

なんとなく虚しくて何もやる気がおきないよー的な、ね。

 

でもそう思えているということは「現状どうしてもやらなければならないこと」は存在しない、ってこと。

ライオンに追いかけられているときに「あ〜虚しい…」なんて思いません。とにかく必死に走らないと死ぬわけですから(走っても多分死ぬけど)。

 

“どうしてもやらなければならないこと”に忙殺される人生もそれはそれで嫌ですが、世の中が便利かつ豊かになったおかげで“やらなければならないこと”が減り、結果的に「今何をすればいいのか」が分からなくなってしまった。

 

その結果生まれた虚無感に現代人は苦しめられている。

そんな気がします。

 

ではラッセルの言う「ほしいもの」とはなんでしょうか。

生きる上で必要不可欠なもの? それともそれ以外の付属的なもの?

 

今の日本で生きる上で必要な衣食住を持たない人は少数です。

ではそれ以外のほしいものとはなんでしょう。

 

例えば恋人。車。一戸建ての家や新型のiPhone、身も蓋もないことを言えば贅沢ができるだけのお金。

生きる上で必要不可欠ではないけれど、あったら嬉しいもの、ですね。

 

でもちょっと待った。

新型iPhoneが欲しい(持っていない)からこそ現在やるべきことが明確になる、なんてことはありません。

 

13万は高いから(新型高すぎですよね)在宅ワーク頑張って金貯めるぞ! と精力を燃やせる人は別かもしれませんが……

 

それは車でも服でも同じです。

 

では「持っていない」ことで虚しさを打破できるほどの気力を生み出すものとは何か?

 

僕は知恵だと思います。

 

未だ自分が知らない知識、訪れたことのない場所、聞いたことのない物語。

 

そこには際限がない。

だからこそ、好奇心をくすぐられる。

 

単なる物欲とは違う、人間が持っている根源的な欲求……それは好奇心です。

 

「あの海の向こうには何があるのか」

 

はるか彼方の水平線の、さらにその先を想像して目を輝かせている人は「虚しい」なんて思わないはずです。

 

メディアや世間体によって「持っていると幸せだと思わされているもの」=お金や服や車などに惑わされることなく、自分の外にある世界に興味を持て。

 

それこそが幸福のための不可欠の要素なのではないかと思います。

自己PRなんかクソ食らえだ! ……と面接官に言ってみた

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「じゃあ次、えーと……そら、……なんて読むの?」

 

はい! 空澄(からすみ)遊(ゆう)と申します!

 

「あ、そう。じゃあ自己PRお願いね」

 

わかりました!

 

僕の強みは冷静に物事を判断して、一つの物事に一生懸命取り組めるところです。

 

中学の頃から地元の道場で合気道を習い、部活では茶道部の副部長を務めました。

高校の頃は映画好きが高じて映画館でアルバイトをする中で、チームワークと接客に携わる喜びを学ばせて頂きました。

 

「なんで理学療法士になろうと思ったの?」

 

はい! もともと医療関係の仕事に興味があったのですが、リハビリとして一人の患者様にとことん向き合ってその方の社会復帰を支援する、という仕事に強く惹かれたからです。

 

「なるほど。じゃあこの病院を見学してどう思ったか聞かせてもらえるかな?」

 

はい! くだらないと思いました!

 

「……は?」

 

病院どうこうではなく、自己PRなんかを聞くあなた方に失望しました。

 

冷静に物事を判断する、これは確かに僕の強みです。ですがそれは一人の場合に限ります。

僕は相手に気を使いすぎるあまり、人と話すとき相手の意図を汲み取って上手く切り返すことができません。

 

一つの物事に一生懸命取り組む、聞こえはいいですね。

真面目は美徳とされています。でも真面目な人ほど実は騙されやすい。一つのことに集中するあまり、俯瞰的な視野を失ってしまうからです。

 

実際、「真面目で一生懸命」だった僕は2年前詐欺にあって大損しています。

 

合気道、茶道と「道」がつくものをやっている人はどこか高尚に見えるでしょう?

そんなものただの思い込みです。

合気道を習っていたってクソみたいな人は存在します。

 

アルバイトでチームワークと接客に携わる喜びを学んだ、確かにそうです。

チームに縛られる苦痛と傲慢な客の相手をする苦渋はその何倍も強かったですけれど。

 

医療関係の仕事に興味があった、これも嘘じゃないですよ。

興味があったのは獣医でしたけどね。

 

「…………」

 

そもそも初対面の人に自己PRする意味が僕にはよく分かりません。

 

うつ傾向の人は自身を過小評価するでしょうし、自己愛性の人は過大評価するでしょう?

むしろ見るべきなのは他者の視点の方。自己評価と第三者から見た自分像との間にどれだけの乖離があるのか、そこだと思うんです。

 

それは文章でも同じだと思います。

 

自己紹介ページなるものに趣味や特技を書いてもそれは物事の一側面であってその人自身を表したものにはなり得ない。

 

この文章を書いているのがどんな人であるかは、これを読んだ人が判断すべきことだと僕は思います。

 

「た、退場だ退場! 今すぐ出て行け!!」

 

はい!
本日は貴重なお時間をいただき、まことにありがとうございました!!

ファンと信者の違いとは何か?

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面白かったら褒めて、つまらなかったら意見を言うのが「ファン」

面白くてもつまらなくても苦言するのが「アンチ」

面白くてもつまらなくても褒めるのが「信者」

 

というツイートが流れてきて、なるほど、と思いました。

 

僕の好きな人は声優です。

いや、オタクをこじらせてる訳じゃなく、リアルな知り合いとして好きな子が声優やってるんですけど。

 

事務所に所属しながら朗読劇やドラマCDなんかの仕事を受けているのが現状なわけで。

 

来月にも公演があるんです。

当然、チケットを買いました。

 

応援したいし、朗読劇自体に興味もあったから。

 

二日間の日程中、公演は四回。当然内容は同じです。

一公演3,500円。全部観れば14,000円です。

 

これを高いと思うか安いと思うか、という話じゃないんです。

同じ内容の公演を4回観ることをどう思うか、という問題。

 

彼女自身、すべてに来て欲しいと言っているわけじゃありません。一つでも来てくれれば嬉しい、そう言ってます。

 

僕が買ったチケットは2枚。初日と翌日分です。

純粋に芝居を楽しみたいと思ったら、同じ内容のものを観るのは2回が限度だと思ってそうしました。

 

しかし、4枚分のチケットを迷わず買った人がいます。

……彼女の元カレです。

おそらくあと数人はいるでしょう。僕の好きな子はとてもモテる人なので。

 

そのことにモヤモヤしている自分が嫌で仕方がない。そういう話です。

 

彼らは彼女の「ファン」ではなく「信者」だ。

そう思ってしまうんです。

そして、自分はそうなりたくない、とも。

 

ですが恋は盲目。

はたから見たら、おそらく僕の行動は信者の域に近づいてきている。そのことにもモヤモヤするわけです。

 

ふと気づくと「彼女がどう思うか」を常に考えながら行動している自分を見つけてしまう。

異常に嫉妬深い彼女(回避性パーソナリティ障害に妄想性と依存性がミックスされていると僕は思ってます。詳細はまた別の記事に)に好かれるために自分の行動を制限してしまっている。

 

でもそれは、きっと良くない。

それが分かっているからこそ、こうして煮え切らない思いを抱えることになってしまうんでしょうね。

 

ああ……普通の恋愛がしたい。

 

最近よくそう思ってしまいます。

なぜしんどいのに山梨へ行くのか

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 本日の業務終了後、同僚と乗り合わせで山梨へ向かう。

研修である。

 

研修、というと会社からの「お達し」であると思われるだろうがそうではない。自主的に参加している。お金を払って。

 

施術(治療)技術を高めるための塾が山梨にあるからだ。

隔週に一回、半年コース。7時から9時半まで開催されている(いつも遅れて参加)。

 

これがまあ、非常に疲れる。

仕事後に90分かけて山梨に向かい、二時間ほど勉強してからまた90分かけて帰るのだから当たり前だ。

 

それでも参加するだけの価値はある。内容が濃く、翌日から臨床に活かせる技術を学べるからだ。

 

僕のような怠け者にとって都合の良いシステムでもある。

理由は二つ。

 

一つは交通費を浮かせるために乗り合わせをすること。

一人だとついサボりたくなってしまう心の弱さにブレーキがかかる。

 

もう一つは半年コースであること。

一括払いしているんだから行かなければ単純に損である。

 

 

「行った方がいい」理由は他にいくつも挙げられる。頭では分かっている。

 

それでも「だるい」と感じる心は正直である。

ああ……はやく帰りたい。